柏原よしえの水着画像1979年秋、『スター誕生!』に出場、清水由貴子の「お元気ですか」を歌って合格。その後グランドチャンピオンとなり、柏原よしえの名で、1980年6月1日シングル『No.1』でフィリップス・レコード からデビュー。
1981年発売の7枚目のシングル『ハロー・グッバイ』の大ヒットにより同期の松田聖子、河合奈保子に並ぶアイドルスターとなる。特に河合奈保子とは「なおなお」「よしよし」と呼び合う間柄で仲が良い。



またその美貌と豊かな胸・豊満なボディは、河合奈保子と共に、グラビアやアイドル水泳大会で注目される実績を残した。
話し方に特徴があり(極端に言えばサ行の発音が外国風)物まね番組などで、80年代には、誇張され、よく物まねされていた。
1980年代後半からは、歌手としての活動より女優活動が目立つようになる。映画、Vシネマ、2時間ドラマに多数主演。1990年代よりデビュー
以来所属していたゴールデンミュージックプロモーションから独立する。
以降、歌手の仕事を中心に、ミュージカルや舞台で活動する。テレビでは『うたばん』『NHK歌謡コンサート』『NHK-BS日本のうた』『思い出のメロディー』などに出演。
現在は、ライブやディナーショーなどの歌手活動の他に、写真集やラジオ、自らが創作したオブジェの個展『魅完成展』なども開催している。
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1982年10月1日『花梨』の発売と同時に“よしえ”から“芳恵”に改名し、アイドルから本格的な歌手への脱皮を目指す。
『春なのに』(1983年、『ザ・ベストテン』で最高位2位まで上昇)、『最愛』など、中島みゆき作詞・作曲作品を中心にトップ10ヒットを1981年〜1986年まで18作品連続で出し続けた。
当時の人気番組ザ・トップテンでは延べ19曲がトップ10内にランキングされるなどヒット曲多数。紅白歌合戦にも2度出演し、日本レコード大賞にいたっては1981年から1987年まで連続出演していた。1985年-1987年のレコード大賞は、最優秀歌唱賞部門にノミネートされた。
徳仁親王(浩宮、現・皇太子)が彼女のファンだったことでも知られ、1986年のリサイタル『おんな飛翔』にも来場、バラ「プリンセス・ミチコ」の鉢植えを柏原に贈っている。柏原はお返しにサイン入り写真集を贈った。
出典:Wikipedia
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柏原よしえの水着画像
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